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日本の核保有を理性的議論の俎上に

問われる国家の安全を守りきる覚悟

 北朝鮮の核・ミサイル問題というと現在、専ら核弾頭と大陸間弾道ミサイル(ICBM)に焦点が当たっている。

 しかし、日本の立場からすると、既に北朝鮮が200基以上を実戦配備している核搭載可能な中距離ミサイル「ノドン」こそが深刻な問題だ。ノドンは最大射程1500キロだからアメリカ本土には届かないが、北海道から沖縄まで日本全土をカバーする。そして、実質的には日本に向けられたミサイルだ。

 それでも真剣に議論されないのは、ノドンによる対日攻撃の標的となる確率が高いのが在日米軍基地だから、アメリカがグアムやハワイの戦略爆撃機などですぐに反撃に出るだろうという楽観論があるからだ。あるいは「非常時に日本防衛ができないということでは、アメリカの権威や前方展開戦略の信頼度が著しく傷つくことをアメリカ自身がよく分かっているはずだ」といった論拠に立ってもいるのかもしれない。

 そもそも北朝鮮は、一発でもそれらを日本に向けて攻撃すれば報復は免れがたく、国家崩壊を招きかねない。だから、そもそも北朝鮮がそうした冒険主義に打って出ることはあり得ないとの達観が、安易な楽観論を生み出している温床ともなっている現実がある。

 だが、現実の国際社会では何が起きるのか、分からないのが実情だ。何より安全保障というのは、想定外のことすら考えておくのが安全保障の基本中の基本であるべきだ。

 例えば、北朝鮮の核保有を誰も止められなかった場合、北が核化プロセスをICBM実戦配備を停止するのと交換に「現状のまま凍結」し、北朝鮮が核保有国として認定されることだってあり得ない話ではない。そうした場合、北朝鮮は米ロや英仏中、さらにインドやパキスタンなどと肩を並べ、核クラブに入ることになるのだ。

 そうなってから、やにわに重い腰を上げ、日本の核武装をめぐる論議を本格化させても時は既に遅しだ。

 東アジアでは力の空白地帯が生じることになり、北朝鮮の威嚇にわが国は対処のすべを封じられる可能性だった高くなる。

 だいたい「同盟」というのは「運命共同体」と同義ではない。

 何より対米信頼とは別に、自国を守るための最終的手段として独自の核保有が必要だという議論もあるだろう。そうした議論を封印して、これまでの延長線上に未来があるといった安易な考え方ではわが身の安全を担保するなど夢のまた夢だ。

 わが国に求められているのは、何としても国家の安全を守りきるという覚悟であり、何が起きるかわからない国際情勢の中で議論の枠を限定的にしないことだ。

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