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政治家を小粒にするもの

名門学校と過剰報道週刊誌

 雪が降ると、受験の季節を迎えたことをつくづく思う。

 そこで私立の名門志向が強いというのは考えものだとも思う。

 幼稚舎、慶応大学附属とか学習院とか、おぼっちゃま、お譲ちゃまばかりが学ぶブランド学校というのは、全人格的な教育という意味ではあまり意味がないからだ。

 学校というのはいろんな人がいて、そこで揉まれてこそ、人間としての幅ができる。

 大学は専門教育だから、ある程度の知的レベルのもの同士が切磋琢磨するというのは当然だが、義務教育の小、中学校ではそれこそ、大工の息子から花屋の娘、それに腕白坊主がいるかもしれないが、幅広い人格を形成するにはもってこいの環境となる。

 それこそ社会に出て行った時、万事に難なく対応できる社会性を身につけることになる。

 それを名門というブランド名に引かれて通わせても、同じタイプの人間ばかりでは、スケールの大きな人間は生まれようもない。

 家庭そのものも社会の縮図だが、学校はもっとリアルな社会の縮図だ。家庭は変えることはできないけれど、学校は本人の意志や両親の考えで変えることは可能だ。感性豊かな思春期を過ごすことになる学校生活で豊かな学園生活を送れるようひと工夫してはどうか。

 とりわけ小学校の規範教育は、一生を規定するほどの影響力を持つ。ましてやいろいろ悩んだり考えることになる中学校、高校生活で純粋培養されたような名門エリート校ではなく、まず人間としての底力を付与されるような学校を選ぶべきだ。

 成績の良し悪しも大事なことだが、何より逆境に強く、間違っているものは間違っていると背筋をピンと伸ばした生き方をこそ若い時に学ぶべきだ。人間的魅力にとぼしい優等生ばかり輩出しても、未来の活力は高まろうはずもない。

 政治家にしても、このごろは人間的魅力に欠ける小粒の政治家ばかりが目立つようになった。

 最大の理由は、風紀委員かと思うばかりの行き過ぎた週刊誌の報道ぶりだ。「倫理、倫理」と鳴く鈴虫じゃないのだから、余りに締め付けると、格好ばかりの品行方正な優等生ばかりになってしまう。

 これだと萎縮するか、偽善者ばかりになる。

 腹は違うのに、口先だけの優等生ばかりでは、弱肉強食のジャングルの中で生き残りをかけ闘っている世界の政治家に伍していけない。

 政治が数の力で動くのは、民主主義国家である以上、仕方のないルールだが、それでも信じる持論があれば筋を最後まで通す覚悟がなくては政治家とはとても言えない。単なるサル山のボス猿の腰ぎんちゃくでしかなくなる。

 農耕社会で集団の絆が大事とされた日本では、出る杭は打たれがちだが、それだけでは社会の活力はそがれてしまう。

 永田町では一致団結する政治的パワーは必要だが、自説を曲げ協調するばかりでは国家的危機を乗り越えられないリスクが存在する。

 従順な羊の群ればかりでは、いつか狼のえさになってしまう。

 ヤギのように岩山の頂に立って全体を俯瞰し、行くべき道筋を指し示すリーダーが必要だ。それこそが政治家の役目だろう。

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