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ITで人間の脳は退化する

懸念される文明のシロアリ

 近代化は、早くて便利なことがもてはやされた。歩くことなんかせず、電車や車に乗り、挙句の果ては昔、何カ月もかかっていたようなところまで飛行機で一っ飛びだ。だが、おいしいものばかり食べていると、糖尿や様々な疾患の原因になるように、便利なものに依存してしまうと文明の落とし穴にはまってしまうことがある。

 近代化を否定しようというのではない。今さら、復古主義でやって社会が機能するはずもない。ただ、何がよくて何が悪いのか、ちゃんと選別して入れるものは入れ、排除すべきものは排除する姿勢が大事だといいたいのだ。

 古来、我が国は中国から仏教も儒教も取り入れてきたが、全面的に丸のみしたわけではなく、バランス感覚を働かせて導入してきた。

 最近は電車に乗っても、本や新聞を広げる人は圧倒的少数派になり、誰しもがスマホをのぞいている。だが、コンピューター社会というのは、それほど依存していいものなのか疑問に思う。

 少なくともキーボードを打ちながら文章を作って、手書きの機会が少なくなったことで、漢字の記憶が薄れてきたのは確かだ。言語は、聞いて分かる段階から、自分で読み書きできる段階までステップが違う。漢字も見て分かる段階と自分で書けるのとでは天地の違いがある。

 その天地の違いの下界のほうに、コンピューターによって人々は蹴落とされている現実がある。

 カーナビを使うようになって、地図を読み込むといった人々の地理的能力も格段に落ちている。

 とりわけ懸念されるのが、コンピューター依存による記憶力の喪失だ。CPの記憶能力はとても並の人間のかなうところではない。それを外部記憶装置のようにCPを使い始めたことによって、人類の脳は退化が始まっている。

 大学でも、学生の記憶する力が非常に劣ってきているという。だから、言ったことが分からない。国語の本を読んでも何を書いてあるのか全く分からない。東大、京大に入るような大阪の有名高校の生徒のケースでは、英語、数学はかなりできても、中学校二年生レベルの国語を読んで何を書いてあるのか分からないということがある。

 日本の場合は、一人でこもってしまう子供が増えている。昔は、外で近所の子供たちと遊ぶことがあったが、今はゲーム遊びが主流だ。

 とりわけ最近、痛感するのは聞くことの大切さだ。今、日本の子供たちは、ゲームやコンピューターなどで、視覚的なものが最優先されている。日本人の場合は、80%から90%が情報に頼って生活するようになっている。むしろ聞くということが、非常に困難を伴うことが多い。

 人の話を聞ける子供になるには、やはり幼少時から聞くための育児をしないといけない。米国の14歳の少年が、生後8カ月の時、母親から毎日十冊ずつ本を読んで聞かされたという実例がある。その子は、バイオリンとかピアノも小さい時に教わって、IQ(知能指数)は200。14歳で医学部の学生になった。妹さんもIQ200。だから、8カ月の時から、話をして聞く耳を持たせるという教育をすることは、大きな意味がある。

 ところが日本ではどうかというと、会話がない。お母さんがおっぱい飲ませている時は、スマホやメールの時間だ。あるいはテレビを見ている。会話がほとんどない。赤ちゃんが母親と目線が合っても、(母親は)目線を合わせない。だから子供は、人間というのは目線を合わせないものというふうに認識してしまう。

 スマートフォンやパソコンといったテクノロジーは、人間の脳を物理的につくり変え始めている。わたしたちの脳は、反応は速くなったが、思考力や記憶力はなくしている懸念がある。

 イタリア・ピサ高等師範学校の名誉教授、ランベルト・マッフェイの研究によると、テクノロジーへの依存は脳のニューロン構造をつくり変えるという。「のろまな」組織が超高速なデジタルメディアに適応することを強いられた結果、深い考察力や幅広い思考力は衰えてきているというのだ。

 文明と脳の相関関係は強い。

 人類は文字を使うようになったことで、記憶力は弱くなった。そして今、脳の代わりに記憶してくれるテクノロジーの出現によって、記憶する必要性がより小さくなっているのだ。

 高度テクノロジーは、ひょっとすると「文明や脳」を食い荒らすシロアリになるかもしれない。

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