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2015.09.22

安保法案反対デモは一過性

最近の平河クラブ(自民党の記者クラブ)の記者会見では、朝日新聞やテレビ朝日の記者による安保法案反対デモに関する質問が多いとの印象がある。自民党が反対デモをもっと重視して法案に対する姿勢を軟化せよとでも言いたいのかもしれない。これに対して谷垣禎一幹事長の対応振りは、さすがにベテラン政治家の風格を感じさせる。

「運動論としてそろそろ何か盛り上がりを作らなければとお考えになった一つの結果が今、話題になっていることではないかと私は見ております」とし、この2、3万人程度のデモ自体が特定の団体などによる「運動論」に過ぎず、一般国民の声を代表したものではないと間接的な表現ではあるが一蹴しているからだ。その「運動論」も「戦争に行くのは嫌だから」と感覚的に反発するレベルの若者を動員したというのでは、全く政府への圧力にはならない。

確かに、13万人の全学連が問答無用で国会に突入した60年安保闘争時の若者の一途さとは比較にならない。当日のNHK日曜討論で日本共産党の小池晃政策委員長が「今日の2時に結集しよう」と呼び掛けたが、所詮は虚言の教唆・扇動に一時的に乗せられ興奮した若者や市民が集まっただけで、継続性を保証する巨大なエネルギーを内包しているとは見られないのだ。

谷垣幹事長が、デモという形での主張はとかく争点が単純化されるので「多様な現実を現実的に説明する努力をしなければいけない」と指摘する通り、政府・与党はさらに丁寧に説明努力を尽くすことが肝要だ。デモのようなハデさはなくても、地道な積極広報が求められている。

2015.09.22

野田聖子カード不発で「残念」

自民党総裁選の日程が決まったことを受けて、民主党の岡田克也代表は「他党のことなので、いい悪いという話ではない」との20日までの間、政府・自民党は国会と総裁選の両方への対応を余儀なくされる。野党とすれば「総裁・首相が代わるかもしれないのであれば安保法案の審議はできない」と、審議ストップの口実を得る事になる。野田氏が法案に消極的な発言でもすればさら涼しい顔をする一方で、無投票再選の公算が大きいことから「残念」の言葉を2回使った。この「残念」の思いの根源には、安保法案廃案に向けての有力なカードを失った、ということがあろう。

安倍総裁の再選は党内全7派閥が支持しており確実視されているが、野田聖子氏が立候補すれば、告示日の8日から投開票日に勢いを得よう。

野田氏が告示前1週間になっても「義を見てせざるは勇無き也」と出馬の意欲を捨てなかった背景には、祖父の野田卯一氏(故人)が1966年、突如反佐藤栄作を掲げ惨敗必至で総裁選に挑んだDNAがあるからかもしれないが、それだけではない。後見役の古賀誠氏が安保法案廃案に向けて野田氏をプッシュし続けていたからだ。

古賀氏は政界引退後も岸田派(宏池会)名誉会長という立場から宿敵・日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」にまで登場し、法案反対勢力に加担している。だが、自民党内で古賀氏の〝謀反〟に同調する議員はほとんどいないのが実状だ。

今後は、政府・与党が採決に踏み切る動きとなれば、野党側は内閣不信任案や問責決議案を連発して対応することになろうが、法案成立の流れは不可避である。

2015.09.22

性の尊厳をどう考えているのか

我が国に人間の性を軽く考える風潮があることはよく指摘されることだ。一夫一婦の考え方が確立するのは、明治以降に、性倫理に厳しいキリスト教の影響が広まってからだと言われている。

性犯罪の罰則見直しや同性カップルに対する証明書の発行に関する上川陽子法相の答弁をみると、大臣としての立場もあるからなのだろうが、通り一辺倒に終始し、社会の根本に関わる性の価値を重要視するという姿勢を明確に示さないのは、性を軽く考える風潮に引きずられているのではないか。

たとえば、同性カップルへの証明書発行は、法律に抵触しないとしても、その動きが自治体に拡大すれば、結婚の定義の変更、ひいては家庭の崩壊につながるものだ。

結婚は一対の男女に限定されていることは、憲法や民法から明らかである。法相ならまず、それと矛盾する動きが活発化することへの警戒感を表明すべきであろう。

社会の根本に係る結婚について、国民的な議論も国会での議論もなく、地方自治体レベルで行われることに警告を発するくらいのことをしてもいい。

性犯罪の厳罰化についても同様で、人間の尊厳を侵害する強姦罪は懲役3年、強姦致死傷罪は懲役5年と定める現行法は、あまりに罰則が軽いし、不備もある。

その改正に尽力するかどうかは、人間と性の尊厳をどう考えているかを示すことでもあるのだ。

2015.09.22

米排除の「抗日戦勝」認識こそ歪曲

習近平中国国家主席は9月3日の抗日戦勝式典で演説し、「日本の軍国主義の企みを粉砕した」などと語った。だが、日本軍と正面から戦ったのは蒋介石総統率いる国民党軍だった。

共産党は日中戦争中、国民党軍による共産党狩りから逃れるために精力を使っていて、ほとんど何もしていない。日本が1945年に敗戦してから国民党軍と戦って、49年に国民党を台湾に追いやり、勝利した。

また、米国は連合国側として第二次大戦中、中国を支援してきた。しかしながら、習主席は演説で米国が第二次大戦で果たした役割を無視。予想以上の抗日のアピールもさることながら、この歴史認識こそ、歪曲されたものだ。

一方で、米本土を射程に収める新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)を初公開。今後の軍事政策上、米国をアジアから排除するための姿勢を露骨に示した中国の戦勝行事となった。

他方、米国によって金日成主席率いる北朝鮮軍の南進を食い止めることが出来、国家が存続できた韓国の朴槿惠大統領が式典に出席。軍事力を誇示して、米を排除するような戦勝パレードに参加したことで、北東アジア情勢は一層、混迷を深めた。

さらに、ロシアからもプーチン大統領が出席、東・南シナ海とウクライナで軍事力をもとに一方的な現状変更を図る中露の連帯も誇示された。冷戦構造が再構築されているといっても過言ではない。

(中国では今年の後半も、戦後70年をカードにした様々な反日行事が目白押しである。経済力を背景にした中国に韓国が取り込まれている)。

外相との記者会見では、岸田外相の「受け止め」だけを引き出そうとする質問が目立つが、大きな枠組みの変化に対する洞察をもとに、もっとダイナミックな質問を記者に望みたい。(石)

2015.09.22

危機意識の乏しさ「いじめ問題」にも

2020年の東京オリンピックは、新国立競技場の設計の白紙撤回を余儀なくされたのに続いて、今度はいったん採用が決まったエンブレムも再募集ということになった。こうなってくると、五輪開催地の決定、新国立競技場デザインの決定、同五輪向けエンブレムの採用について、こうした分野にも影響力を行使できる組織等が、東京五輪にケチがつくように、背後で巧妙に仕組んできたのではないかと勘繰りたくなるほどである。

エンブレムについては、撤回が決まってからも、不思議と記者からの質問が出ていない。下村文科相に問い詰めてもどうにかなる問題ではないからかも知れないが、仙台市のいじめ自殺問題に対するコメントも何か人ごとのようで、担当大臣の発言としては不満が残るといえよう。

いじめを苦にして自殺した仙台市の公立中学一年生。そのことを親が隠しておきたいという意向があったようで、担任の女性教師も口裏を合わせて「転校した」と説明。報道によると、それを聞いたクラスメートも、同男子生徒がそのころ学校を休みがちだったので、不自然には思わなかったという。

まったく、すべてが異常な対応、反応というしかない。この記者が食い下がっているように、こういう対応ではいじめた者勝ちである。ネット情報では、いじめが起こって当然のような学校だと見られているフシがある。

当面の対応は市教委に任せるにしても、「人の心の痛みに、もっと関心と思いやりを持つ必要がある」というような、文科相ならば、お役人ではないのだから、人の道を説いてもらいたい。

新国立競技場が法外な経費になることに対して、誰も責任を持たないまま進行してきたのも、政策決定者が、自分のプライド、利益を考えて進め、納税者の痛みを分かっていなかったところから来た問題だ。下村文科相に持ち前の教育的指導力を改めて求めたい。(亀)