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2017.05.27

9条改憲案で自民はまとまるか

安倍晋三首相が5月3日の民間団体主催の改憲推進派大会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新憲法施行の年にしたい」との決意を表明した。いよいよ安倍政治の本丸である憲法改正に乗り出すことを明言したわけだ。8日の二階俊博幹事長の記者会見は、この総理発言に関して集中したが、自民党執行部としては首相を支えていく姿勢を打ち出したことで今後の国会での主要テーマに浮上することになろう。

問題は、首相が9条の条文をそのまま残して自衛隊の存在を加える加憲案をどうまとめられるかだろう。党内の一部からは慎重な声もあるため、「党内の意見をまとめていく手法として、ある程度時間をかけるのもいいけど、時間がかかりすぎてもしょうがない」(二階幹事長)。そのため、今ある党憲法改正推進本部(保岡興治本部長)の下に小委員会を設け「自衛隊」と「教育無償化」に絞った改憲案を早期にまとめる方向だ。

ただ、「教育無償化」は改憲勢力に取り込みたい日本維新の会の主張を入れたものに過ぎない。あくまでも改憲のキモは、9条である。2項の「戦力を保持しない」の文言を残したまま、2012年に公表した自民党改憲案では「国防軍」と位置付けた自衛隊の存在を書き込むにはどういう案文が可能なのか。首相は9日の参院予算委で「党内議論を加速し、憲法審査会への提案をいかに苦しくてもまとめる」と答弁したが、今ほど英知の求められるときはないだろう。

2017.05.27

遠のく「提案型政党」のイメージ

安倍首相の呼び掛けで改憲論議が活発化してきたが、国家の在り方や国民の安全にかかわる憲法論議に民進党は非常に消極的だ。他国からの防衛や大震災を想定した危機管理についてまともな議論をする気が薄いのではないかとの疑念は募るばかりである。

野田佳彦幹事長の4月24日の記者会見でも、「憲法調査会を置いて党内の議論をやり、その議論をよりどころとして憲法審査会に臨むということをやっている」とは言うものの実際に建設的な議論を行う姿は見えてこない。

代表代行だった細野豪志氏が改憲私案を発表してすぐさま辞任したのは、改憲に対して消極的な執行部との「考え方の違い」からだった。蓮舫代表に至っては「首相は口を開けば(改正を目指す)条項が違う。誰のために改正するのか」と首相批判を最優先し、中身の話には入ろうとしない。これでは国会における憲法審査会での議論も集約に向かうのは難しいだろう。

この姿勢を更に後押ししているのが、憲法の全条項を守るので改憲は無用と主張する共産党だ。民進党にとって、国政レベルでの共産党との選挙協力は、昨年の参院選で示されたごとく魅力的で、党存続のための前提だと主張する声が同党内で強まれば強まるほど、改憲の主張は控えめにならざるを得ない。そうなると「提案型政党」のイメージがますます遠のいていく。だが、改憲派の議員は党内に少なからずいる。民進党はいま、そのジレンマに陥っている。

2017.05.27

国際基準無視し重箱の隅つつく

マスコミの記者の役割の1つは、権力による人権侵害を防ぐことだ。したがって、立法行為を厳しく監視するのは当然である。しかし、テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案についての対応はお粗末すぎる。大臣答弁の稚拙さも問題ではあるが、テロへの備えの国際標準を無視して、重箱の隅をつつくような質問を続ける記者たちは人権を守るどころか、結果としてテロの危険性を高めて、国民の生命を脅かすものでしかない。

同法改正案について、未然防止に役立つ「イメージが湧かない」との抽象的な質問や、テロ等準備罪は「呼称か」など、さまつな質問を繰り返す記者を見ると、3年前の児童ポルノ禁止法改正を思い出す。

児童ポルノの「単純所持」を禁止する規定を盛り込むための同法改正は2014年に実現した。しかし、所持を禁ずれば、えん罪による人権侵害が横行するなどと、当時の民主党やマスコミが強く反対し、長く議論が進まなかった経緯がある。

わが国で、児童ポルノ禁止法が成立したのは1999年。その当時から、所持禁止規定がないことは国際社会から批判されていた。同規定がなかったのは先進7カ国(G7)の中では、日本だけだったからだ。

つまり、児童ポルノの製造・販売を禁じても、所持を禁じなければ需要を断つことができず供給も撲滅できない。だから、所持を禁じるのは国際基準だったのだ。所持を禁じる法改正は実現したが、それによってマスコミが懸念した人権侵害はまったく問題になっていない。

国際組織犯罪防止条約(TOC条約)締結国は187カ国に上る。しかし、3年後に五輪を控えてテロの標的になる懸念が高まる中、先進国日本が条約締結の条件となるテロ等準備罪を新設できないのは、テロに対する危機意識において、いかに国際基準からずれているかの証左であろう。それを象徴しているのが記者たちである。